「っひ、ぁ…っ、やぁ……っ」
薄暗い部屋の中、一人の女が何人もの男に囲まれていた。
囲っている男たちを含め、服を着ている者はほとんどいない。
「や、だ……っ、あ、も、ひぅっ!? やめ……ん、くぅぅ……っん」
ただ一人の女は組み伏せられ犯されている。
その身体は余すところなく白く汚され、全身から独特の臭気が立ち上っているほど。
「どうしたい、聖女様。さっきまであんなに強気だったのにさ……!」
女を犯している男が、わざとらしい口調で吐き捨てる。
男が動くたび、結合部からは、泡立った白い体液が零れていく。
「あ、あ……お、お願い……も、やめ……て、やすませて……っ」
聖女と呼ばれた女は弱々しく、蚊の鳴くような声で懇願する。
が、聞き届けられるはずも無い。
もし聞き届けられるようならば、彼女はここにはもういないはずである。
「そんな弱音は聞きたくないねぇ。これくらいでもうへたばったのか?」
これくらい、と軽く言うが、すでに彼女が犯された数は三桁に届く。
例えどんなに意志が強くとも、そうそう耐えられる回数ではない。
「いや……も、許して…謝る、から……んっ、ひぁぁ……っ、や、め……ぇ…」
「謝ってもらってもねぇ。なんに謝るんだ? 信じていた神様かい?」
「こんな穴倉にゃ、神様のご威光も届かなかったみたいだし、謝ったって声も届かねぇんじゃねえの」
周りを囲む男たちからも揶揄する声が飛び、それだけで女の心はさらに暗く沈んでいく。
「助けてくれない神様なんかより、気持ちいい事覚えちまえよ。その方が楽だぜぇ?」
「ぃっ!? ……ぁああああ……っ」
深くねじ込まれ、身体を仰け反らして叫ぶ。
「ひやぁぁぁっ!! いやなの、もう……や……ぁぁ…………っ」
泣き叫び、いやいやと首を振る。
それでも男は腰を止めることはなく、さらに激しく突きこんでいく。
「そら、聖女様。また中に注いでやるよ…っ」
「こんだけ出したら、さすがに孕んでるんだろうなぁ」
「そうそう、俺たちのガキをよ」
「ひぃぃぃぃっ!? や、やぁぁっ!! やだ、やだぁぁっ!! 中、中には……お願いだから、出さないで! 出来ちゃう、出来ちゃうからぁぁぁっっ!!!」
火がついたように、いきなり暴れだす。
逃れられないとしても、見知ら野蛮じみた男たちの子供など妊娠したくない……そう願い。
「だったらさぁ、さっさと受け入れちまえよ」
近くにいた男の一人が囁く。
「もう、聖女じゃない。ただの精液便所だってさ。そうすれば、中に出さないよな?」
「え? ……ああ、そうだな」
そう確認しあう男たちの顔には、下卑た笑み。
通常であれば、それが方便だと誰でも分かりそうなもののはず。
しかし、追い込まれ、極限まで磨耗した女には気づく余裕などあるはずも無い。
「あ、あぁ……わかり、ました……、認めます、私は……皆様の精液便所、だと……っ」
ガクガクと何度も首を縦に振り、言われたとおりに応える。
が。
「違うだろぉ? もっと、誠実にいってもらわなきゃなぁ」
提案した男が犯している男を止めて、身体を離れさす。
「はぁ……はぁぁ…………っ」
幾度も貫かれ犯された膣はヒクつき、収まりきらない精液がとろとろと溢れていく。
「それじゃあ聖女様。この通り言えるかなぁ……?」
耳元でなにか、小声で囁く。
それを聞いた女は眼を見開き……そして。

「あ……や、そんな……言えない……っ」
弱々しく首を振り、女が拒絶する。
「おいおい、なんだいそりゃ。メリッサちゃんよぉ、さっき言ったばっかじゃねーか。……仕方ねぇな、ほら」
「あぁ」
ぐったりとした女――メリッサの足を抱え、再び挿入する男。
「っひ、ぁ……や、だ……ぁっ」
これからどうするのか、どうされるのか。
理解して嫌がるが、もう暴れる気力は残っていない。
「そら……たぁっぷり、出してやるぜ……っ」
男の呟きのあと、身体の奥でなにかが弾ける感覚に襲われる。
「やめ……や、あ……あぁ…………っ」
絶望に打ちひしがれた声を上げ、ただメリッサはされるがまま。
「ま……さっき自分で認めたからな。精液便所だって」
「そうそう。それじゃあたっぷりと使ってあげないとねぇ……」
犯していた男が離れ、別の男たちがにじり寄る。
メリッサには逃げる術もなく、ただ床を掻くだけしか出来ず。
「い、や、あ、あぁぁ――――…………っ!」
悲鳴はかすれ、消えていく。


「ん……ぷ、あむ……ちゅぷ、ちゅ……」
目隠しをされた女が、でっぷりと太った男の股間に顔を埋めて奉仕をしている。
よっぽど深く舌で愛撫しているのか、ねっとりとした水音が響いていた。
「ほ、ほぅ……これが、あの……ですか……。ふむ、なかなか……」
その女の腰を掴んだ男が、勢いよく腰を振りたて突き込んでいく。
そちらも濡れそぼっているのか、卑猥さを感じさせる音がやはり聞こえてきていた。
女の舌が、男の腰が、動くたび。
広い部屋に音が響いていく。
「いやはや、最初はどうなるかと思いましたが……」
腰を振るう男が、腰を休める事もなくそう切り出す。
「こうして見事我々の手に入ったというのは、まさに僥倖……ですな」
深いところを突いたのか、女の身体がびくりと震えるが、奉仕の動きは止まらない。
「ちゅぱ……ん、ちぅ……ちゅ、ちゅぷ…んむ……」
根元よりしっかりと咥え込み、舌を絡め唇を窄ませて。
男たちの声に耳を貸す様子もなく、ただただ男のモノを求めていた。
「しかし……あの堅物を絵に描いたような女が、こうなるとはな。……無くしてしまったのは、惜しいと言えるか?」
奉仕をさせている太った男が、女の頭を撫でつつそんな事を語る。
ただ言われたとおりに男への奉仕を続ける女を買ったのは、ある組織の元からだった。
しかし、今その組織は壊滅してしまい、存在しない。
残党はいるとの噂だが……どれほど力を蓄えているのやら。
「はっはっは、ご冗談を司教様。彼らとはたまたま今回縁があっただけ。元来であれば神に歯向かう者たちですぞ?」
太った男を司教と呼び、惜しむ言葉を嗜める。
その言葉によく見ると、全て脱がずに纏っている衣服はどこか宗教めいた色を感じさせた。
「司祭殿は噂に違わぬ真面目な性格なようだな。冗談に決まっておるだろう」
女の髪を弄びながらそう答える司教。
「そうでしたか。いやはや、これは早とちりをしてしまいました」
司祭と呼ばれた男は、苦笑いを浮かべ頭を下げる。
「ちゅぷ、ちゅ……ん、ふぁ……ぁむ……」
自らの頭の上でやり取りされる会話にまったく興味がないのか、自分を犯している相手が聖職者だというのに、女はなにもしない。
……なにも考えない。
それとも、そういった手合いですらこういう事をしていると、理解しているのだろうか。
顔は足の間に隠れていて、表情は見えない。
「ところで……この者ですが、本当に我々が占有してよろしいのでしょうか?」
自ら犯している女を「この者」と呼び、まるで物扱いの言葉。
「なあに。あそこで行方不明になった女たちの、どれだけその後の動きが分かるものか。それに……なにかに使うにしても、最後まで伏せていた方がいいだろうて」
にやり、と聖職者にあるまじき顔で嗤う司教。
「それよりも、次の贄を探さねばな。宣伝もそうだが、楽しみがない」
太った身体を震わせ、わずかに腰を動かしながら続ける。
「そうですな……。あの騒動で有名になった者を幾人か調査しましたが、どれもこれも……」
「邪教や異教の者も多いな。……ん? これは、どうだろうか。なあ、司祭殿」
身体に違わず、たっぷりと脂肪がついてたるむ指で指すのは、一人の竜騎士の名前。
「……ああ、この者は確か……そう。"鋼の聖女"メリッサと組んでいた者でしたな」
腰の動きをわずかに緩め、司祭が思い出す経歴。
「確か、今も"鋼の聖女"を探しているという話です」
さっと描かれた似顔絵には、それでも気と意思の強そうな瞳がしっかりと描かれていた。
凛とした表情からも、気位の高い人物だというのは見て取れる。
「なるほど。我々もそうだったな、司祭殿」
司教が言っているのは、教会も"鋼の聖女"メリッサを捜索しているという事。
しかしそれは表向きの話で、実際にはほとんど調査をしている事実はなかったが。
「ええ、仰るとおりです。……では、次はこの者で?」
「これほどうってつけの者もおるまい。早速連絡を付けようではないか」
司祭が選んだ者の名は――
「フィオーネ。いや、今はフィオーネ・アズブラッドですか……。一般人が騎士になるなど、そうそう夢物語だというのに」
「それも上手く使えるだろうて。すぐに呼べよ、司祭殿」
「は、仰せの通りに」
それは、男たちにとっては晩の食事をなににするかと、そう話し合っている程度でしかなかった。
事実、一人の人間の運命を狂わせるとか、そういった考えはなかった。
あくまでも、己たちの享楽と悦楽のため――。
結局、他人の命など道具と同等かそれ以下でしかない。
今この世に、そう考えている人間がどれほど多いか。
だが、それでも。
ここにいる一名だけはそう考えなかった。

――今、なんて言った……?
ぼんやりとした頭で考える、思い出す。
そこには、懐かしい名前が浮かんでいた。
――フィオーネを……使う?
口の中には、硬さを感じさせない肉の塊。
吐き捨てたいと、そういう衝動に襲われる。
――使う……使われる……私みたいに、使われる……?
ふつふつと、腹の奥、胸の中からなにかが湧き上がってくるのを感じた。
久しく感じていなかったそれは……。
――それだけは、許せない……!
怒り。

「ぎ……ぁぁあああああああああっ!!?」
司教が天を劈くかのような絶叫を上げて仰け反る。
同時に、下腹部から赤い液体が迸って女の顔と髪を染め上げる。
「なっ!?」
赤い液体の勢いはすぐに治まったが、司教の絶叫は留まる事を知らない。
「ぎ……いぎっ!? ひ、はっ……あがあぁぁぁ……っ!!」
ベッドの上から転げ落ち、股間を押さえのたうちまわる。
その光景を見ていた司祭は、なにが起こったのか、理解出来ずにただ固まっていた。
「……う、げぇ……っ」
と、それまで奉仕をしていた女が、口から何かを吐き出しながら身体を起こす。
ベッドの上に落ちたのは、赤い液体――血にまみれた肉塊。
それがなんだったのかなど、考えるまでもない。
そして目隠しを取り、振り向いたその顔は……先ほどまで話題に上がっていた、"鋼の聖女"メリッサだった。
「あ、あ……あ? な、なに……を……?」
上半身を血に染めた、怒りに燃える瞳で射抜かれ、司祭はただ震えるばかり。
「……ああ、貴方でしたか司祭。どうりで聞き覚えのある声だと思いました」
シーツを剥ぎ取り、血に濡れた身体を拭う。
「ば、ば……馬鹿、な……もう二度と歯向かわない、と……」
歯の根が合わないのか、身体と同じく震えた声で呟く。
その股間にあったモノは、すっかり萎えて縮こまっている。
「そうですね。もし、貴方たちがもう少し頭を働かせていれば……そうだったかも知れません」
ベッドの上、メリッサが近づく。
近づかれた分、司祭はじりじりと後ろに下がり、あっと気づいた時にはベッドから落ちてしまっていた。
ベッドの反対側には、いまだ苦痛に苛まれる司教がいたが……彼にはもはやどうでもよかった。
目の前にいる"鋼の聖女"がなにをするのか、それだけが頭の中を支配していたから。
「噂で聞いた事があります。教会内部に背徳者がいる、と。まさか、それが司祭たちだったとは……」
やれやれ、と首を振るメリッサ。
ただ、その瞳は呆れではなく怒りしか映していなかったが。
「司祭はご存知ですよね。私がなにを嫌っているか。そして、その嫌いなものへの仕打ちも」
ぺたり、と裸足で床に降り立ち、必死に逃げようとしている司祭の前に立ちはだかった。
「あ……や、やめ……許し……っ、お願い、だから……殺すの、だけは……っ」
涙と鼻水と唾液を垂らし、司祭は何度も首を横に振る。
「残念ですが……許されるかどうかは、主の御許でお尋ねください」
いつの間にか、右手には果物用のナイフが握られていた。
「貴方の御魂が安らかにあらん事を……」
「ひ、ひ……っ」
メリッサの右手が閃き、司祭の声が止まる。
司祭は首を押さえ口を激しく動かしながら、次第に血の泡を吐き後ろへと倒れた。
「さて……」
死に逝く司祭には見向きもせず、メリッサは司教の方へと近づいていく。
「あ、ぁぁ……ワシはまだ、死にたくない……っ」
自ら作った血溜まりの中で司教はそう喚く。
「残念ですが、それは許されない事です」
メリッサは冷ややかにそう呟き、ナイフを頭に突き刺し。
「がっ」
手首を捻り、抜き去る。
びくっと大きく震えた司祭の身体は、それから数度身体を震わし……物言わぬ骸となった。
ふぅ、とため息を付き立ち尽くすメリッサ。
これからどうするか。
衝動的に裁きを代行したとはいえ、さすがに逸りすぎたか、と思う。
もっとも、後悔などはしていないが。
「なせばなる、などと軽々しい問題ではないけど……」
掛けてあった法衣を手に取り身にまとう。
「ここがどこだか分かった以上、あとはどうやって連絡を取るか……ね」
記憶が確かなら、ここはクルルミクより馬車で十日ほど離れた街。
しかし、金もなければ人手もない。
それ以前に、この場所にいては余計に己の立場を悪くするだけだ。
「とりあえず……現状を打破しなければ未来はない、と」
ため息をつき、手に持ったナイフを見る。
二人切っただけで刃は零れ、欠けていた。
「今はこれしかない、か」
騒ぎが大きくなる前に、なんとかして武器を手に入れなければ。
司教の部屋には、他に武器になりそうなものはなかった。
「どこまで持つかしら……」
それこそ、神のみぞ知るといったところか。


見張りの隙をついて殺した後、奪った長剣を手に館を駆けて行く。
「どこだ!?」
「こっちだ、早く!」
逃走は既にばれ、今は追われる立場にあった。
「く……っ、はぁ、はぁ……っ」
ほんの少し前までなら余裕だった疾走も、今では数十メートルですら駆け抜ける事が出来ない。
「大人しくしろっ!」
追いかけてきた兵士が槍を突きつけそう宣告するが、返答は剣の一振り。
あっさりと槍を両断すると、返す一撃でその兵士の腕を切りつけた……が、傷は浅い。
(……く、手元が……っ)
疲労で剣が重い。
今までのように振るえない。
それでも、立ち止まる訳にはいかなかった。
「はぁ……っ」
腕を押さえ怯む兵士はそのままに、近くにあった階段を駆け下りていく。
そこは一番エントランスに近い階段だったが、兵士たちも馬鹿ではない。
既に二重三重にと立ち並び、捕らえる算段は整っていた。
「狼藉者め! 司祭様と司教様の命を奪うとは、生きて帰れると思うな!」
兵士の一人がそう叫び、剣を抜き放つ。
「……私は、鋼の聖女……といっても、通じないでしょうけど、ね……っ」
荒い息でそう呟くが、聞いた相手は鼻で笑うだけ。
「はっ! 鋼の聖女は行方不明だ。こんな所にいるはずがないだろう。嘘をつくにしても、もっとマシな嘘をつくんだな!」
槍を構えた兵士たちが、一歩前に踏み出す。
階上を見ると、そちらにも多数の兵士たちが集まってきていた。
もう逃げ場はない。
(ここまで、かしらね)
脱力感とともに、手から剣が滑り落ちる。
もっとも、もう握り締めるほどの握力も残ってなかったが。
半ば諦め切った気持ちで、周囲を囲もうとする兵士たちの顔を見れば、その中の何人かは好色な表情を浮かべていた。
恐らく、取調べと称した陵辱を楽しみにしているのだろう。
ふ、と自虐的な笑みを浮かべ、全て諦めてしまおうと思った、その時。
「なんだっ!?」
ガラスの割れる音ともに、なにかが屋敷の中に飛び込んできた。
それは床に落ちるや否や、軽い炸裂音とともに白い粉を周囲に撒き散らす。
一つだけではなく、いくつも同じ物が投げ込まれ、一瞬で屋敷の中は白く染まっていく。
「う……な、なに……げほっごほっ」
「これ……は、げほっ」
その白い粉を吸った兵士たちは、むせたかのように咳を繰り返し、苦しげに膝を付く者、武器を取り落とす者など様々だ。
「これは……?」
とっさの勘で口元を覆ったメリッサは、なんとかその影響から逃れられていた。
ただし視界は悪く、動こうにも動けない。
咳き込む兵士たちの中、どうしたものかと思案していると。
「こっち!」
くぐもった、だがはっきりとした声が響く。
それと同時に、腕を掴まれ引っ張られる。
「え、あ……っ」
何事かと問いただす間もなく、メリッサは白い粉の生み出す霧の中へと引きずり込まれた。
慌てて口を噤み、粉を吸わずに済んだが……。
(誰……?)
ぼんやりと見える姿は、かつて見た姿と重なる。
だが、ここに彼女がいるはずがない。
もしいたら……とても嬉しい事ではあるが。
腕を引っ張られ、とにかく駆ける。
どれくらい走ったのか、気づくとそこは裏庭で。
開いていた裏口からさらに駆けて、止まっていた馬車へと飛び込む。
「きゃっ!?」
引き倒すように抑えられると同時、扉が閉まる間も惜しいのか馬車が発進する。
ガタゴトという音と共に馬車が大きく揺れるのは、かなりの速度を出しているからか。
「何事……?」
押さえている者を見上げる事も忘れ、呆然と呟くメリッサ。
「なにって、あなたを助けに来たんだよー」
と、呟きに頭上から返事があった。
それはどこか懐かしくて……そう感じる程前の話ではないはずなのに。
「……スー!?」
「はい、ご名答。って、今まで気づかなかったの!?」
驚いたようにスーが小さく叫ぶ。
押さえていた手をどけ、馬車に備え付けられたソファへと身を預けて、それからスーがメリッサに抱きついた。
「心配させないでよ、もう……」
ぎゅっと抱きつき、スーは泣きそうな声で呟く。
「なんだか……頭が理解についていっていないみたい。とにかく、ありがとう。スー」
スーの身体を抱き返しながら、メリッサはようやく助かったのだ、と実感出来た。
「お嬢……遅くなって申し訳ありません」
馬車の外、おそらくこの馬車の御者を務めているだろう男の声が聞こえてきた。
その声には、様々な感情が篭められており、一瞬涙が浮かびそうになる。
「バンドル……お嬢はやめてと何度言えば……。でも、ありがとう……ございます」
涙を堪え、なんとかそれだけを口にした。
しばらくの間、馬車が道を駆け抜ける音だけが響く。
「……そういえば、どうして二人は私のいる場所を……?」
スーの身体を一度離し、そう尋ねる。
ハイウェイマンズギルドに売られた女冒険者たちのほとんどは、その行方どころか生死すら不明になるというのに。
「話すと長くなるんだけどね」
と、スーがメリッサの正面に移動して、「あの後」の事をかいつまんで説明する。
メリッサが抜けたあとも三人は最後まで一緒だった事。
結局ワイズマンはフィオーネたちには倒せなかったが、無事に生き延びた事。
そして……ギルドのボスが逃亡し、ギルドは壊滅的な打撃と共に崩壊したという事、など。
「……って訳で、運よく残党をとっ捕まえてね。まあ、あんまり言いふらせないような事をして聞きだしたって訳」
「そうだったの……。ありがとう、スー」
メリッサの度重なる礼に、スーがえへへと照れたように笑う。
(そういえば、スーを褒めるって初めての気がするわね……)
思い出すのは、いつも余計な一言を言ってから、メリッサやフィオーネになにかしらされているスーの姿。
懐かしい、あの光景。
「ん? どったのメリッサ」
「なんでもないわ、スー。……それで、フィオーネは竜騎士になったのね?」
ちらりと、先程の司祭たちの言葉を思い出す。
スーからもそのくだりは聞いているし、間違いはないだろう。
「そだよー。さっきも言ったでしょ? まあ、あのスカウトに来た人は怪しさ満点だったけどねぇ」
苦笑を浮かべつつそんな事を言う。
スーにこういう顔をさせるという事は、よっぽどなんだろう。
「でも、よかった。なんにせよ、フィオーネの願いが叶ったようで……」
思えばフィオーネには迷惑をかけ通しだった気がする。
いや、気のせいではなく、まさにその通りだろう。
一度などは、なぜか仲間であるフィオーネに恥ずかしい仕打ちをされたくらいだ。
(恨んでいる……でしょうね)
「で、どするの? 一応今はクルルミクに向かってるけど……」
バンドルが部下たちを待機させている為、どうあっても一度は寄らねばならないらしい。
「……別に反対する理由もないわね。準備を整える為にも、一度どこか寄らなくてはならないのだし……」
正直気は進まないが、行かなければならないのなら仕方がない。
でも……。
「フィオーネには、会いません」
「メリッサ!?」
スーが叫び声をあげる。
そうだろう。
どういう事があったとしても、フィオーネは仲間。
無事を報告するぐらいの義理はあってもいい筈だ。
「無事は、スーが伝えてください。……今の私には、彼女にあわせる顔がありません」
それは身勝手な願望……恐らく、メリッサが生まれて初めて口にする我侭。
「でも、それは……っ!」
言いかけてスーは気付く。
メリッサがそれを本心から望んでいない事に。
俯き加減の視線に力はなく、それでも膝の上に置かれた手は硬く握り締められていた。
「……分かったよ、メリッサ。でも、多分今から帰れば間に合うだろうから、フィオーネの姿だけでも見てあげてよ。ね?」
「間に……合う?」
「ハウリ王子が、恐らく試練を終えて凱旋の式典を行うだろうから……きっとフィオーネも参加するはず。そうすれば、遠くからでも見れるでしょ? 竜騎士になったフィオーネは格好いいから、ホント……一目でいいから見てあげて」
すがるような目で、スーがメリッサの腕を掴み訴える。
その目を見返すことも出来ず……しかしメリッサはそれを拒否する事も出来なかった。
「分かったわ。遠くから見る……でもそれだけ。それでいい?」
「……うん」
不承不承頷いたメリッサに、ようやくスーが腕を放した。
しばらく、無言の時間が続く。
「あの……さ、メリッサ。私たちの事、怒ってたり……する?」
おずおずと、聞きにくそうにスーが切り出した。
その質問はしかし、メリッサにとってはとても心外なもの。
「そんな事……。こうまでしてもらって、どうして怒ったりしなくてはならないの?」
助かるとは思ってなかった。
助けが来るとは考えもしなかった。
それだけに、今この状況がどれだけ救われているのか……説明するのは難しいけれど。
「ううん、だって……口調が、他所他所しいし……フィオーネに会いたくないとか言うから……」
他人行儀に見えるという事だろうか。
「口調は……不思議ね。以前はこうやって話していたはずなのに、剣を取ってからはああいう口調になっていたわ。今それが戻らないのは……どうしてかしらね」
"鋼の聖女"でいた頃の口調を思い出ししてみようと思うが、なぜだか出来ない。
思い出せるのだが、いざ言葉にしようとすると以前の口調になってしまうのだ。
「うん。それならいいんだけど」
スーが納得したように頷くのを見て、メリッサは瞼を閉じた。
視界が閉じられると、思い出されるのは今まで受けた数々の羞恥。
そして……あの竜神の迷宮であった出来事。
隣にフィオーネがいて、スーがふざけ、ピリオが笑っている。
あの時間は戻るのだろうか。
再び手にして良いのだろうか。
そんな事を考えているうち、意識がゆっくりと深みへと沈んでいくのを感じて……メリッサは、何日かぶりの休息に身を委ねていた。


数日後。
大歓声に包まれる大通り。
大きな御輿を何十騎もの騎士が囲み、さらに上空には編隊を組んだ竜騎士たちが飛び交う。
囲まれた御輿の上には、次期君主となるハウリ王子が満面の笑みを浮かべて、市井の人々の声に応じて手を振っていた。
「あれが、ハウリ王子……」
大通りから一歩入った形になる路地から、その様子を眺めつつメリッサが呟く。
あのような少年が一人で竜神の迷宮を制覇したなど信じがたいが、世の中には飛びぬけた才能を持つ者もいるという。
ハウリ王子もまた、その中の一人なのだろう。
「……それで、フィオーネはどこですか?」
ハウリの凱旋に合わせ、先の戦で失われた竜騎士の補充員……フィオーネを始めとする何人かの竜騎士たちが、お披露目として付き従っているという。
「えっとね……ハウリ王子のあとだから……あれ、かな?」
スーの指差す先、そこには大型の屋根のない馬車が何頭もの馬に牽かれていた。
確かに、遠めに見ても何人か乗っているようにも見える。
「やっぱりそうだ。あれにフィオーネが乗ってるよ」
職業柄か、目のいいスーがその姿を確認しメリッサに報告する。
「……」
それに対し、メリッサは一言も返さない。
ただ無言で馬車が近づいてくるのを待つだけ。
まるで存在を消すかのように黙っているメリッサとは違い、周囲の人々はやってくる若き竜騎士たちの姿を心待ちにしていた。
竜騎士といえばクルルミクではもっとも頼られ、親しまれる騎士だ。
その補充員とはいえ、次代を担う若者たちの姿に民衆はハウリ王子の時とは違う歓声を上げる。
「メリッサ……」
スーの声に顔を上げると、いつの間に来ていたのか、ちょうど目の前を竜騎士を乗せた馬車が通り過ぎていくところだった。
その中に……いつもそばにいた、ともに肩を並べて戦った、懐かしい顔があった。
固く結ばれた唇、前を見つめる瞳には意志の強さが現れており、現にどこか浮ついている感のあるほかの竜騎士たちとは違い、泰然自若とした雰囲気で座っている。
「フィオーネ……っ」
フィオーネはメリッサに気付かない。
観衆の中に盛り上がり腕を突き上げたり、飛び跳ねたりするのがいるからだが、それ以前にまっすぐと前を向いて一瞬たりとも視線を逸らさないからだ。
泣きそうな顔でフィオーネを見つめるメリッサと。
毅然とした表情でまっすぐを見つめるフィオーネの。
二人の視線は結局一度も絡む事がなく、馬車は何事もなかったかのように過ぎ去っていった。
「……ね。フィオーネ、格好良かったでしょ?」
「ええ、本当に……。フィオーネは頑張っていたから……本当に、おめでとう……」
その祝いの言葉は決してフィオーネには届かない。
だが、それでも。
直接祝えないメリッサは、そう呟かずにはいられなかった。


「本当に行っちゃうの?」
クルルミクの城門を出たところで、スーが問いかける。
その問いに、メリッサは馬車に乗る前で立ち止まり振り向いた。
「ええ。他の皆に挨拶が出来ないのは心残りではあるけど……整理がついたら、多分来れると思うから」
そういって微笑む。
「うん、それならいいんだけど。でも……メリッサはもうここには来ない気がする」
「え?」
突然のスーの言葉にメリッサが硬直する。
それはほんの一瞬、瞬き程度の時間だったが、それでもスーには十分すぎた。
「やっぱり、ね。メリッサの事だから多分そうじゃないかなって思ってたんだけど」
溜息をつきながらスーが言葉を続ける。
「判り易すぎるよ、メリッサ。もっとも嘘が苦手なのは前からだろうけど。第一また戻って来れるなら、フィオーネにはいずれ会えるんだし……一度もそんな事言わないって事は、会う気がないんじゃなくもう戻って来ない気だったんでしょ?」
スーの指摘に、メリッサはばつの悪そうな顔をする。
「まったく。そういうのを考えるなら、もっと……それこそあの兜くらいの鉄仮面がないとメリッサは嘘吐き通せないね」
「う……それについては謝ります。でも、クルルミクには来れなくても、いずれ居場所を手紙で教えるつもりでしたし……」
居心地が悪そうに、頭を下げるメリッサ。
「そういう事を言ってるんじゃないんだよ、メリッサ」
ちょっと声に怒気を孕ませ、スーが言う。
「クルルミクに来るとか来ないとか、そういうんじゃなくて。どうして素直にならないの? 会いたいんでしょ、フィオーネに」
頭を下げるメリッサの身体を起こし、両肩を掴んで睨みつける。
「そ、れは……っ」
「イエスかノーか。それだけだよ、メリッサ」
ぎゅ、と肩を掴むスーの腕に力が篭る。
「あ……会えるなら、会いたいです。当たり前じゃない……っ。でも……私はっ」
「会いたいなら!」
突然スーがメリッサの胸元を掴む。
背はメリッサのほうが高いので吊るし上げる事は出来ないが、迫力だけは十分だった。
少なくとも、メリッサが黙るほどには。
「会いたいなら、そういえばいいじゃない。フィオーネだって会いたいに決まってるんだから……。知ってる? フィオーネも任務の間の少ない時間を割いてあなたを探してるんだよ? あなたがフィオーネやピリオや私にどれだけ負い目を持ってるかなんて知らないよ。でも……会いたいという気持ちが本当なら、会えばいいじゃない。違う? さあ、もう一度答えてみなさい、メリッサ。あなたはフィオーネに会いたいの? イエスかノーか。さあ!」
叫び、スーがメリッサの顔を睨みつける。
真正面から覗き込まれ、メリッサは言い逃れも出来ない状況へと追い込まれた。
悩む。
会いたいのかそうじゃないのか、ではなく。
その言葉を言っていいのか、どうか。
「どうしたのメリッサ。言えないの? 簡単でしょ。どっちか一つしか答えはないんだから」
ぎり、と、握る手にさらに力を篭めてスーが詰め寄る。
その視線は、メリッサを射抜くかのごとく、強い意志が秘められていた。
そして、長い時間をかけて震える唇が開かれる。
「あ……会い、たい。会いたい……会って、謝りたい……っ」
重ねられる問いに、ついにメリッサが本心を曝け出した。
泣きそうな顔で、一人迷子になった幼子のように。
「皆に会って、前みたいに、いつまでも……一緒に……っ」
と、そこまで言ったところでスーがその唇を指で塞ぐ。
「おっけ。それでいいんだよ、メリッサ。……だってさ、聞いた?」
そして、メリッサではない「誰か」にそう話しかける。
「聞こえてないはずないでしょう。……まったく、突然呼び出されてなにかと思えば」
不満げな声と同時に馬車の扉が開く音がした。
「うぅぅ……いきなり竜に乗せられてなんだか判らなかったけど……スーの意地悪ぅ」
よろけるように出てくる人影。
「あはは、ごめんねー」
「大事な用があるから、浚ってでもピリオを連れて来い。いい、ピリオ。不満はスーにぶつけなさい。全力で」
「うん、そうする〜」
「え゛!? ちょ、ちょっと待って欲しいかなーなんて思うんだけど?」
それは懐かしい……懐かしいといえるほど前ではないはずなのに、涙が零れるほど懐かしいやり取り。
振り返りたい、でも振り返れない。
先程会いたいと叫んだのは本心だ。
でも……こんなに早く、なんて。
「……メリッサ」
一番会いたいと願った声の主が、硬直し振り向けないメリッサの肩を掴み、振り返らせる。
と。
乾いた甲高い音が空に響く。
「……え?」
「とりあえず一発。私がどういう心情で今ここにいるか判りますか、メリッサ」
メリッサの頬を叩いた人物……フィオーネは、先程のスーよりも怒りに満ちた瞳でメリッサの事を睨み付けた。
「……ご、ごめんな」
「違います。勘違いで謝られるほど、腹立たしい事はないですね……っ」
苛ついている様子を隠そうともせずにそう吐き捨て、フィオーネはメリッサの胸倉を掴んで引き寄せた。
詰問口調でフィオーネが続ける。
「私が怒っているのは、どうして真っ先に会いに来なかったか、という事です。どうしてですかっ?」
静かだが、迫力のある声でフィオーネが凄む。
「そ……れは、あれほどの醜態を見せたのだから……あなたの足を引っ張ったのだから、もう、許してもらえないと……」
「許す許さないは人が決める事です。あなたは聖女と呼ばれていたはずですが、いつの間にか神にでもなったつもりだったのですか?」
さらにメリッサを引き寄せ、顔と顔がほとんど接触してしまいそうなほど近づいている。
「私が言いたいのはメリッサ。あなたがそう感じているように、私もあなたを守れなかった負い目があるんです。これ以上、私に苦しめと? 生涯消えぬ十字架を背負えとでもいうのですか!?」
「それ、は……」
薄々感じていた事。
自分が負い目を背負っているように、恐らくフィオーネもそれを抱いている。
それなのに、自分だけ我侭を押し通そうとした事にフィオーネは怒っていた。
「判りましたか、メリッサ。判ったなら、どう言えばいいか判るでしょう。さあ、あなたの答えを聞かせてください」
掴んでいた胸を放し、どんと軽く一押しする。
押された勢いで一歩後退したメリッサは、叩かれた頬に触れ、掴まれていた胸元に触れて。
それからようやく俯き加減だった顔を上げ、涙でくしゃくしゃになった顔で。
「た……ただい、ま……フィオーネ、皆……っ」
そしてその場に膝をついてしまう。
顔を覆い泣きじゃくるメリッサを優しく抱きしめて、フィオーネがその耳元で呟いた。
「おかえりなさい、メリッサ。……もう、心配をかけさせないで……」
「ごめん、なさ……、う、っぐ……うぅ……っ」
「判ったから。もういいから……メリッサ。泣かないでください、メリッサ」
赤子をあやす様に背中を撫でるフィオーネと、その腕の中で泣くだけのメリッサ。
スーとピリオも二人の傍に座り、三人でメリッサの事を抱きしめた。


「ところで、どうしてフィオーネだけなの?」
メリッサが落ち着きを取り戻してから、ピリオが何気なく訊ねる。
なんだか除け者にされていたようで面白くないらしい。
「それは……特に、深い意味は」
「深い意味はないよー。ただほらさ、メリッサとフィオーネはラブラ……ぶっ!?」
メリッサの右手が神速でスーの頭を鷲掴みにし、フィオーネの左手が光速でスーの首を締め付ける。
「はっはっは、どうしたんだスー。なにか言いかけていただろう?」
「そうですよスー。さあ続きを聞かせてください。……命が惜しくなければ」
「ぐ……ぶ……喉……つぶれ……で……っ」
ぶくぶくと口の端から泡を吐きながら、スーが必死になにかを訴えようとする。
「カニみたい……」
痙攣を始めるスーを見ながら、ピリオはぽそっとそんな事を呟いた。


「本当に行くんですね」
ぐったりとしたスーに肩を貸しながら、フィオーネが問う。
馬車に乗りかけたメリッサは済まなそうな顔をして、それから重く頷いた。
「とりあえず、私は行方不明のままが都合がいいと思います。いろいろと事情があるので」
恐らくメリッサを買い取った教会関係者に関する事だろうが、フィオーネたちには分からない。
「もう帰ってこないの?」
ピリオの問いに、メリッサは首を横に振る。
「ひとまず……そうですね、片がついたら戻ってきます。いつになるかは判りませんが」
「そう……無茶はしないでね?」
その言葉に頷きを返し、それから思い出したかのように動かないスーの身体を抱き上げる。
「しばらくスーを借ります。どうも、私の周りの者たちだけでは難しい事のようなので」
「……別にいいですけど、ちゃんと返しに来てくれるなら」
血の気の引いた顔で唸るスーを座椅子に横にして、メリッサも馬車へと乗り込んだ。
「今度は約束を違えません。必ず戻ってきますから……。それでは、二人とも身体には気をつけて。また会いましょう」
「ええ。またいつか、ここで会いましょうメリッサ」
「約束忘れないでね? スーの事もよろしくお願い」
「はい。今度の約束は忘れません。それでは」
馬車の扉が閉まり、走り出す。
それを見送りながら、ピリオが先程曖昧になってしまった問いを、今度はフィオーネにぶつけてみた。
「フィオーネ。なんでメリッサはあなたの事ばかりだったの?」
声の様子から、どうにも僅かに拗ねているようだ。
もっとも同じ仲間として、その名を呼ばれないというのはいくらなんでも寂しいもの。
そういう点を考慮すれば、ピリオの感情は正しいものといえるだろう。
「私に言われても困ります。メリッサなりの事情があったのだとは思いますが」
言いつつも、なんとなくメリッサの気持ちは理解していた。
ただ、言葉で表すのはとても難しいものだったので、適当な事を言って誤魔化したに過ぎない。
ピリオもそれを薄々感じ取ったのか、それ以上の追求はなかった。
ただ。
「ところで、スーって物じゃないよね」
「……もちろんそうですが」
「でも、ある意味便利な道具ではあるよね」
「……」
やっぱりピリオはちょっぴり怒っているようだった。


その後しばらくして。
市井の人々の話題にはならなかったが、教会内部で大規模な人事異動が行われた。
ただしその事を気に留めたのはほんの僅かな人々だけ。
世の中は、今まで通りに回り続ける。


7years after...

テラスに置かれた安楽椅子に、一人の女性が座っていた。
その両脇には、よく似た顔立ちの、幼い姉妹が二人。
よく見れば、姉妹は女性の足を枕に眠っている。
すやすやと穏やかな表情で眠る姉妹の髪を梳くようにして、女性もまた穏やかな笑みを浮かべつつその頭を撫でていた。
「お嬢様、よろしいですか?」
不意に、初老の男性が近づいてきて声をかける。
姉妹が寝ている事に気づいているのか、かなり控えめな、囁くような声だった。
「あら、どうしたの。もしかして、冬超えの為の備蓄が足りないのかしら」
それに返す女性の声もまた、低く抑えられたもの。
ただし、口調にはどこか楽しげな雰囲気が混ざっていたが。
「いえ。お嬢様にお客人です」
「……そう。困ったわね、二人ともこんなだし……」
むにゃむにゃ口元が動いているのは、なにか美味しいものを食べる夢で見ているのだろうか。
その様子からは、少なくとも今すぐに起きるといった気配はまったくなかった。
「とりあえず、こちらに来ていただいて? 起こしちゃうかもしれないけど……もう少しこうしていたいから」
困ったような、楽しんでいるような、複雑な笑みを浮かべて女性が言う。
「御意に」
初老の男性も困ったような笑みを浮かべ、頭を下げてその場を辞した。
しばらくの間、静かな時間が過ぎていく。
「こんにちは、メリッサ」
「遊びに来たよー」
「あれ、双子は寝てるんだね」
少し控えめな声で入ってきたのは、フィオーネ、ピリオ、スーの三人。
「こんにちは、皆。遊び疲れちゃったみたいで……ごめんなさいね。お出迎えに出れなくて」
振り向いて、申し訳なさそうに謝る女性……メリッサ。
「マリアもルイズも、今度七つでしたか?」
「そうよ。……もうそんなに経ってしまったのね」
四人がそれぞれ遠い目をする。
あの騒動は既に過去の事となり、今はそれぞれがそれぞれの道を歩んでいる。
フィオーネは竜騎士として王城に勤める毎日。
ピリオは賢者の知識と技術を使いクルルミク中を回っている。
スーは本職に戻って遺跡探索などをしていた。
メリッサは……クルルミクの領内に身を隠すように住まい、双子の姉妹を育てていた。
その双子は、今は来客にも気付かずにぐっすりと寝入っている。
ちなみにどちらもメリッサによく似た顔立ち。
マリア―姉―の方が目元が優しく気も穏やかで、ルイズ―妹―は若干吊り気味の目に勝気な気質という違いはあれど。
「しかし、今でも思い出します。突然メリッサから『二児の母になりました』という手紙が届いた時の、あの衝撃は……」
大仰に溜息をつきながらフィオーネが呟けば。
「私もよ? だって……こういってはなんだけど、多分一番そういうのに疎そうなのに」
ピリオが賛同し。
「そうだよねぇ。でもなんというか、メリッサらしいといえばそうなのかもしれないけど……」
スーも何度も頷きながら二人に追従した。
「……私は皆にどう思われていたのか、今更だけどとても知りたくなったわ」
僅かに頬を引きつらせながら、メリッサはそう呻くのが精一杯。
と、気配と声で起こされたのか、双子が目元を擦りながら身体を起こした。
「む〜……なぁにぃ……?」
「ん〜……お客様……?」
寝ぼけているのか、焦点の定まってない目できょろきょろと周囲を見回して。
「……お母様、好き〜……」
「大好き〜……」
おもむろにメリッサに抱きついた。
「ほら二人とも、ちゃんとして。皆が遊びに来てくれたのよ」
双子の頭を撫でながらメリッサがそう諭す。
「ん……あ、本当だぁ。こんにちは、フィオーネお姉さん」
「こんにちは、ピリオお姉ちゃん」
双子はぺこり、ぺこりと名前を呼んで頭を下げて。
「「こんにちは、スーおばちゃん」」
「お、おば……っ!?」
一番丁寧に挨拶しながら、口からはとんでもない言葉が飛び出している。
「ちょ、メリッサ! この子たち躾が行き届いてないよ!?」
「あら? 変ね、ちゃんと教えたはずなのに。スーはおばちゃんで十分よ、と」
「あんたが犯人かー!?」
ムキーと叫び、スーが暴れる。
それを取り押さえるフィオーネと、その様子を見て笑う双子たち。
「あはははは! やっぱスーお姉ちゃんは面白いね!」
「ごめんなさい、スーお姉さん。でも……くすくす」
「う、う〜……今日は双子に免じて許してあげるんだからね!」
「でも、スー。その格好じゃサマにならないよ?」
無邪気に笑う双子に、スーはそう宣言するも、ピリオに言われて再び轟沈する。
「ふふふ。さあ皆、そろそろお茶にしましょう? バンドルが用意してくれているはずだから」
「「は〜い」」
「お母様、マリア手伝ってくるー」
「あ、私も〜。マリアー、待ってぇ〜」
メリッサの提案に、マリアとルイズが揃って返事をし、そして元気に駆けていく。
「いいですね、こういうのも」
フィオーネが呟き。
「ええ。こういう日がいつまでも続けばいいのだけど」
メリッサが賛同する。
今はつかの間の休息だとは判っている。
戦乱の足音は、今もいつ高くなるなるかは判らない。
それでも、平穏な日々が続けばと祈らずにはいられなかった。
「それじゃ、私たちもいこうよ」
「賛成。……でも、とりあえず上からどいて、フィオーネ」
スーの言葉に再び軽く笑いが起きる。
これからもずっと、この四人でいられたら。
そう願ったメリッサの想いはいつまでも――。


クルルミク領内に、かつて"鋼の聖女"と呼ばれた女性の従者と後援者たちが孤児院を兼ねた施療院を建設したのは、"鋼の聖女"の行方が分からなくなったワイズマン騒動の終焉から二年後だった。
その施療院は、主にグラッセンとの戦役で住む場所や家族を失った者たちを受け入れる場であり、歴史に名を残す事はなかったが長く市井の人々に愛され、頼られていたと近隣地域に言い伝えられていた。
またその頃、仲のよい双子の姉妹と、それを温かく見守る女性の姿がよく見受けられていたが、その彼女の名を知る者はほとんどおらず、ただ"母"とだけ呼ばれていたという――。



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